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2017/07/07

ジョン・ウィック: チャプター2 感想 ~ジョン、仕事やめるってよ~【映画レビュー】

[映画感想]


◆ジョン・ウィック: チャプター2 感想◆


評価/オススメ:★★★★★★★★★★!!!!!
(もっとあげたい)

◆synopsis◆


伝説の殺し屋ジョン・ウィックによる壮絶な復讐劇から5日後
彼のもとにイタリアン・マフィアのサンティーノが姉殺しの依頼にやって来る。
しかし、平穏な隠居生活を望むジョンは彼の依頼を一蹴した。
サンティーノはジョンの思い出の詰まった家を無残にも破壊。
一命をとりとめたジョンはサンティーノへの復讐を決意。
生命の危険を感じたサンティーノはジョンに膨大な懸賞金をかける。
世界中の殺し屋の標的となったジョンのたったひとりの戦いが始まる。

※公式HPより
※ネタバレ防止に付き、一部文月加筆訂正

◆comment◆


皆様、2017年7月のエンタテイメント作品はジョン・ウィックで決まりです。
特にアクション好きの皆様は叫びながら海にでもダイブしたくなるぐらい、興奮すること間違いなしです!!!!



2017年7月7日本日から公開です。


予告編はドラマチックすぎる繋ぎ方が本編への導入としてはちょっと。
展開は激しくももっと静謐な感じです。
この予告編は予告編として好きなんだけど。。。。


あぁ、しかし劇場から出ても興奮で指の震えがとまらない。。。。
キーボードがうまく打てない。
誤字脱字は興奮状態で書いている人間だということで、ご勘弁を(涙)
あとで見直しますので(汗)
アドレナリン全開です。。。。


さて、これ嬉しい意味で困ったぞ。
説明しなくても、お好きな方には不要ですな。
監督、脚本、製作総指揮にお名前を連ねている方の経歴はこの方面の映画を作るのに何の違和感も感じません。公式サイトにも書かれていましたが、キアヌとは既にマトリックスリローデットやレボリューションズでも絡んでいて気心が知れた仲です。
デビット・リーチは『デッドプール』の続編の監督も務めます。

主演は(本シリーズで復活とか書かれて良かったね)キアヌ・リーブス。
宿敵を演じるのは「野良犬たちの掟」や近年だと「二つ星の料理人」でも好演のリッカルド・スカマルチョ(舌噛みますね)
殺しの世界の掟の王、コンチネンタルホテルの支配人にはイアン・マクシェーン。
コンチネンタルホテルの忠実なる案内人にランス・レディック
(個人的にはランス・レディックのお上品さに撃沈)
ジョンを付け狙うことになるキャラが見事に対照的なライバルにコモンとルビー・ローズ。
コモンは『スーサイド・スクワッド』でもいい味出ていましたが、本作ではジョンと互角に渡り合う名シーンを演じます。特に地下鉄のシーンは必見。
本作のクワイエット(笑)ルビー・ローズ。その辺の殺し屋顔負けの華麗な技でジョンを追跡します。言葉を発しない彼女のハンドガンもサイレント。
どうでもいいですが、ルビー・ローズさんの出で立ちは、どう見てもSNKの名作格闘ゲームであるKOFのキングです(余談)

そして忘れてはいけないモーフィアス、ローレンス・フィッシュバーン。
ジョンとはなにやら因縁がある仲。
殺し屋の世界も複雑だと教えてくれます。
本作でもバリバリ預言者です(笑)

さて、本題に・・・
この物語に関しては、複雑な伏線もトリックもどんでん返しもございません。
そういう余計なものはオッカムがカミソリできれーいに剃り上げてしまっています。
だから身構えずにスクリーンを見つめてください。

物語は前作の終了直後から始まります。
というか、オープニングのこの導入までが前作「ジョン・ウィック」だったんですね。
そういう訳で予備知識として入れておくのは「前作」だけで良いのです。
そのあたりは親切過ぎる。

映画好きの方には鑑識のような目をお持ちの方も多数いらっしゃいますので、ワンカットワンカットの意味や配置された家具、調度品、BGMに至るまで丸裸にするみたいにすることで無常の喜びを得る(もちろんわたしもそうですが)という楽しみ方もございますが、本作に関してはそうしたものは物語の装飾品でしかございません。

なぜか???
というのも、ストーリーはジョン・ウィックにとってそれほど重要ではないのです。
ジョンという伝説の殺し屋がいかに戦うのか?
いかに魅せるのか?
そうした状況をわたしたちは追うのです。
つまり『ジョン・ウィックという世界』それ自体が物言わぬ物語そのものなのです。
この感覚は戦闘がシステマティック過ぎているが故に、あたかも物語ではなくミュージックビデオでも観ているような錯覚すら呼び起こします。
1作目も本作もその太い柱だけは背骨としてしっかりと建っていて、一切ブレていません。

だから
本作は考えるのでも、感じるのでもなく、
ひたすら『観る≒魅る』映画なのです。

研ぎ澄まされた現代の演舞、所作。

一切の躊躇いなどない急所への攻撃。
撃つ、捌く、仕上げる、次の標的へ。
アクション映画にありがちな目まぐるしくアングルを変えるようなことはありません。
カメラワークはあくまでも静か。派手な戦闘BGMもございません。
本当のプロフェッショナルにとっては戦闘とは飾るものではなく、ルーティンワークなのです。(このあたりはゴルゴ13にも通じますね)
だから製作側がカメラをぶん回してしまうと、途端に安っぽくなる。
なるほどなぁと。
この作品の「生々しさ」ってこの演出によって昇華しているんだよなぁ。
この感覚を味わうとマトリックスとかもう見れないなぁ。
飾らないことが、かえってジョンの壮絶さを際立たせ、超人的な戦闘能力を私たちに示してくれます。

小気味良すぎる攻防の連続。気がつけば死屍累々。
連続しているくせに、ひとり捌く度に「おったどー」と聞こえんばかりの高揚感。
そして銃撃はあくまでセミオート、そしてメインアームはハンドガン
これで萌えないのは男の子ではありません。
これ、、、、TPSやFPSが個人的に好きだからだけど、ヒットマークとか獲得経験値と連続キルメダルがチラついてしまうのですよねΣ(´∀`;)
どこのプロゲーマーが操作してんだと。
あのぉ、手元カメラ見せてください。
エイムbot使ってませんか?
戦闘終了後のラウンドクリア感が満載なのもいけないですよ。。。

だから1作目についてもストーリーが単純だとか、入り込めないとかいうレビューもございましたが、それは製作側がどこに力点を置いてこの映画を作ったのかが違っていただけなのです。
本作では調度品は装飾でしかないと先程は書きましたが、この作品の叙情性を最大限に高めるために、用いられる全てのアイテム、全ての場所、全ての脇役の方は配置されています。

これほど明確な意図のもとで一貫して構築された世界観。
現代を描いているはずであるのに感じる強烈な異世界感。
(もしかしたら、ジョン・ウィックの世界ってマトリックスのひとつなんじゃないの?とかいう幻想を抱くわたしはどうかしている!!!!)

そういう意味で作品を追っていくと、体内の水分が全て口から出ちゃうくらい垂涎ものの
シーンしかありません。製作側のこだわりは執念と表現しても過言ではないぐらい恐ろしいものがあります。

ひとつひとつの乗り物も、衣服も、文房具も、調度品も、舞台も、もちろん武器も言葉ですら・・・・何度も見直して視覚的に「愛でる」あるいは質感や手触りすら感じたくなる。
そんな作品です。

ストーリーではなく、彼らの住む世界(ニューヨークなんだけど、私たちがイメージするニューヨークは一切出てこないしなぁ。見慣れたものですらファンタジーに感じるもんなぁ。出演者が持っているイメージが強すぎるのかも)に入り込むことができれば、
ジョン・ウィックという作品は観ている側にとって無常のものとなるでしょう。

この感覚は「キングスマン」では感じなかったなぁ。
あれも大好きなんだけど、あっちの方が『マトリクス』寄りに感じたものなぁ。
キングスマンは世界を作っているというより、アクションにドレスを被せたようなものだもんなぁ。

ワタクシは即テーラードスーツを作りたくなりました。。。
もちろん黒の。

Q「裏地はどうなさいますか?」
A「戦闘用で」
※世界でジョン・ウィックだけが似合う台詞ですな。。。。

ところで、ジョンの勝負服が黒であることは暴力の象徴で、もっぱら戦いは夜間であることもその後ろ暗さを表現していると考えたのはワタクシだけでしょうか。

また、これは小説でも言えることですが見せ場や美味しいところを観客、読み手に媚びるように説明していないところは本当に個人的に好きな構成です。
用語集なんかも公式サイトにないし。それも良し。
ディテールって創り手が『表現する』ものであって「実はこの話のこれって、こういうことなんですけど解りますか?」なんて過剰に教えてあげようとする姿勢は物語をメタボにしてしまう危険性があるものです。
そういう方のお話は、映画でも小説でも、ワタクシはパスかなぁ。

ルール、秩序、掟、というワード
社会を構成するためには必須ではあるけど、反面人を縛り付ける鎖としてこのワードは散りばめられていて、強烈なメッセージとしてあげられます。

現代のこの世の中で『自由であること』とはどういうことなのか?
どれほど有能であっても『システム』に組み込まれることでした人は生きていけないのか?

『システム』に組み込まれることで得られる安心感。みんな感じてますよね?
その恐ろしさ。。。。。

ジョン・ウィックも、そして新しい相棒として存在感があるワンちゃんも、自由に生きることの答えをこれから出さないといけません。
ここまで来ると、あのワンちゃんがジョンの元に来た経緯にもこの作品のメッセージが感じられる。。。なるほど。

ただ、終盤のシーンで「すべての目がお前を見ている」という重要な演出があるのですが、アメリカのそして今の世の中のあり方、個人の自由の危うさ≒国家による『自由の保障』と代償としての『管理』の有様が、痛烈な皮肉として表現されているのには脱帽です。

あぁ、そうか、結局ジョン・ウィックの世界とは今のアメリカ(まわりまわって日本も)なんだ、と。
そうした皮肉たっぷりに異世界として世界を作り上げたこの作品は、実はとんでもなく深いのだなぁ。

ラストシーン。
彼らの背中からは哀しさ(悲しさではない)とともに、本当の戦いを始めるという闘志を垣間見れます。
(でもこれアメリカとか、国家、社会のあり方を皮肉ってるんだろうなぁ。下手なディストピア映画よりズシンと来るなぁ)

この映画は四の五の言わずにご覧になることが最も楽しめます。
まずはご覧になった上で、この叙情的で官能的な世界に浸ってみてください。
きっとそこは新しい『マトリックス』の世界(笑)です。

2017年映画鑑賞 114本目

◆◇番外編◇◆


明日からできるサラリーマンがジョン・ウィックになるための5つの方法

①仕事は必死に習得すること。芸術になるまで自分の仕事を高め続けよう。
②そうして仕事はできても、無駄口は叩かず、自慢もするな。仕事は背中でするもの。
③言い訳ではなく、YESとNOは誰に対してもハッキリ言うこと。
④この3つができれば自然と「自分の流儀」を確立できるはず。確立させよう。
⑤「自分に相応しい格好」をしよう。キーワードは統一感。

Lifehackerあたりが書きそうなので(笑)今回は先手を打ってみました。

◆overview◆

・原題:John Wick: Chapter 2
・2017年公開
・上映時間:122分
・監督:チャド・スタエルスキ
代表作:『ジョン・ウィック』
・脚本:デレク・コルスタッド
・製作総指揮:デビット・リーチ

<メイン・キャスト>
キアヌ・リーブス
イアン・マクシェーン
ローレンス・フィッシュバーン
リッカルド・スカマルチョ  
ジョン・レグイザモ
フランコ・ネロ
ルビー・ローズ
コモン
ランス・レディック

2017/05/20

ジェーン・ドゥの解剖 感想~解剖ホラーってドヤ顔で名付けた奴、前に出なさい~【映画レビュー】

◆ジェーン・ドゥの解剖 感想◆


評価/オススメ:★★★★☆


◆synopsis◆

ある一家が惨殺された家の地下に埋められていた裸の美女“ジェーン・ドウ”の死体。
彼女の検死を行うことになった、検死官・トミーと息子のオースティンがメスを入れる度に、
その死体に隠された“戦慄の事実”が判明し、次々に怪奇現象が発生する。
外では嵐が吹き荒れる中、遺体安置所という閉ざされた空間で逃げ場のない恐怖がはじまろうとしていた……

◆comment◆

そうです。そうです。 こういうのがオールドスクールのホラー映画です。 というか、「怪談」ですな。
スプラッターホラーというより、日本の怪談話に近い薄ら寒さを感じるのではないかなぁと。



視覚的な恐怖ではなく、感覚的な恐怖。 
本人の意思ではなくとも、触れてしまった事によって災いに見舞われてしまう。
 (『呪怨』的な絶望しかない状況)
 望まずとも向こうからやって来てしまう厄介事、その象徴的なもの、その極地がこの映画は投影されています。
 例えばそれは・・・・・
 明日から休暇で気分も完全に休みモードに入っていた仕事の帰り際、もう30秒でオフィスから出る直前、あるいは業務用の携帯の電源に指をかけたその瞬間に無情にも鳴り響く、着信を告げるベルのようだ。 
「うわっ!これは…」 
こういうタイミングで相手が告げるのは、ものすごく高い確率で『ウンザリするほど悪い事態』。 
そうした状況をこの作品に重ねて観てください。 
言ってみれば「仕事をしている僕たちの日常」に潜む、恐怖。それがこの映画だ。


肉感的なとんでもないモンスターが襲ってきて、「キャー」と泣き叫ぶというよりは
耳元で何者かの吐く息を感じるけど、振り返ることはできない。

「怖いな怖いなぁ、なんだろうなぁ。。。。絶対後ろ見られないなぁ。。。」

こんなノリです。

だから、まだ作品を観ていない方への注意点を書かせて頂きます。

絶叫系の作品ではありません。そうしたもの期待されてご覧になると、、、、、ちょっとです。

だけど、元来昔から語り継がれてきた類のいわゆる「怖い話」って、この作品が醸し出しているようなものが多くて、

叫びながら襲ってくる怪物<触れてはいけないもの。タブー。

のような図式で「聞く側」の想像力で恐怖が増幅していくものが多かった。




ゾンビやモンスターが身近になったのは、取りも直さず「商業的」に大量に映像化されたからだ。

もちろんワタクシもそういうの大好き。観ます。

でも「実体」を伴って襲い掛かってくるものが相手に感じる恐怖と、「実体が掴めない」ものに迫られる時に感じる恐怖とでは質が違ってきますよね。

この作品、宣伝やらではやたらと「解剖シーン」ばかりがリアルだとかで取り沙汰されているけど、それは物語を構成する一要素でしかありません

舞台設定がそもそも遺体安置所で、主役のふたりが検視官をなりわいにしているのなら、そうした描写に力を入れることは(これだけ虚構と現実の境目を曖昧にするために発達した特殊技術をもつ)現代では外せないところ。
この描写が曖昧だったりすると途端に「なんじゃこれ」と叩かれることは目に見えています。

確かにあのシーンでは(というより、彼らの仕事ぶりを描いたシーンは予告編のカットだけではありませんが)「うわっ」と嫌悪感を抱くだろうし、見るに堪えないと思われる方がいらっしゃるのは当然です。
そこについては本当によくできていると。

ただし、物語の核心である「彼女の身に一体何が起こったのか?」ということを観ている私達が知るために
彼らが検視官として冷静に医学的に説明をしてくれることは導入としては大変説得力があります。

このあたりの説得力についてもっと砕いて言うと、体調を崩して自分で「何かとんでもない病気かもしれない」と深刻に思い悩んでいたものの、かかりつけの医者に「あぁ、念のため検査しますけど、単なる食あたりですね」と軽いノリで言われ一気にクールダウン。下手するとその瞬間から体調が回復していくなんていうところに通じます(⌒-⌒; )

どういうことであれ、専門家に断言されると妙に納得しちゃうものです。(世の中にはヤブという言葉もありますが)

そういう訳で、導入としては観ている側の主観ではなく、彼らによってこの物語の上で同じスタートラインにパンパンっと背中を叩かれながら並ばされる感じになりますな。



というのも、ここで観る側と足並みが揃わないと話が空中分解しちゃうからなのです。(観られた方はお解りだと思いますが)

その意味では「身元不明の変死体が遺体安置所に運ばれてくる」という設定には一本取られたなぁと。

その過程で明らかになる謎。解剖シーンがないと、この物語の謎にはたどり着けないのです。

みなさん、だから解剖シーンを見て感じる恐怖ではなく、解剖の結果彼女に何が起きたのかを解き明かす事で感じる恐怖がこの物語の主題ですよ!!!


激ヤバ解剖ホラーじゃなくて、「解剖によって明らかになる事実がホラー」なのです。



ここまで我慢して細部を目にされた方。おめでとうございます。
ここからが『謎解き編の開始=本番』です。


この作品、全体のトーンからすれば近年の多くのホラー映画の中では控えめな感じを受けました。


それでも無意識に背後を気にしちゃうような、妙〜な感覚に見舞われたのは、製作側の丁寧なシーンづくりの賜物だと考えます。


作品全体を通した色使いや「ん?んっ?」っと覗き込みたくなるようなカメラワーク(特に解剖シーン)、
もちろん、ある程度のお約束もございますです。はい。


決して派手ではなく、やり過ぎな演出も極力抑えていると、かえってちょっとこれヤバイんじゃないの?ってな感じで
「現実味」が増してくるものです。


一言で言うと、
「これって、あり得そう・・・・」と。


あんなことが起きるには、それなりの理由があるわけで。


ジェーン・ドゥ(名無しの女性)と呼ばれた彼女に何が起こったのか?っていうのも十分謎ですが、


どうしてあの日、あの場所で見つかったのか?と、オープニングまで記憶を巻き戻して考える必要が!?


コンパクトな上映時間のお陰で、まぁまぁクドさのない落とし所でエンディングを迎えます。
これが120分作品だと、ちょっと食傷気味だったかも。



いつもの「オイ!!!」というツッコミがあまり出てこない作品でしたが。。。。。
ダディがちゃんと約束したでしょーが!!


とだけ言わせてください。


まぁ、話の通じる相手だったら、このような事態にならなかったんだろうけど(;・∀・)


ジェーン・ドゥの妖しい美しさも、真相にある意味を添えることになります。



2017年映画鑑賞 83本目


◆overview◆


・原題:The Autopsy of Jane Doe 2017年5月20日日本公開
・上映時間:86分
・監督:アンドレ・ウーヴレダル 
  代表作:「トロール・ハンター」
・脚本:イアン・ゴールドバーグ
            リチャード・ナイン

<メイン・キャスト>ブライアン・コックス「ボーン・スプレマシー」
エミール・ハーシュ 「ローン・サバイバー」
オフィリア・ラヴィボンド「ガーディアン・オブ・ギャラクシー」
オルウェン・ケリー


2017/05/14

メッセージ/Arrival 感想 ~世界は『言葉』でつくられている~【映画レビュー】

[映画感想]

◆メッセージ/Arrival 感想◆


評価/オススメ:★★★★☆


◆synopsis◆


突如地上に降り立った、巨大な球体型宇宙船。
謎の知的生命体と意志の疎通をはかるために軍に雇われた言語学者のルイーズは、
“彼ら”が人類に<何>を伝えようとしているのかを探っていく。
その謎を知ったルイーズを待ち受ける、美しくそして残酷な切なさを秘めた人類へのラストメッセージとは―。

◆comment◆


解った、だとか、解らないだとか大きく評価が割れる作品がある。
キャストもVFXもカメラワークも飛び越えて、物語の世界に「浸った」側が
得られるある種の充足感が「観てよかったぁ」って気持ちを引き出す呼び水になる。
その充足感得やすい作品と難しい作品がこの世界には存在する。

もちろん創り手側としては、そうした充足感をより多くの人に得て欲しいと常日頃考えている。それが仕事だし、それが対価の原資になるからだ。

ただ、それは商業としての物語のあり方を考えた場合。
面白い話。ワクワクさせる設定。紡がれる『言葉』の根底には「どうやって楽しんで(あるいは怖がって/考えて)もらえるか?」という「意図」があります。
だから「意図」をより多くの人に伝えるための、受け入れられるための『言葉』には明快さが不可欠だ。

ただし、明快だから受け入れられる、良い、と言う訳でもない。

『言葉』を用いる『意思疎通』の最大の難しさとは『解釈』という送り手/受け手双方のフィルターが内在するからだ。

『解釈』 この作品の重要なワードです。

ドゥニ・ヴィルヌーヴという監督はこういうことを狙って物語を作れる稀有な人物だ。

「複製された男」なんて人を選ぶし、難解で中二病的だし、根暗なトンデモ映画だ。
「プリズナーズ」、「複製された男」、「ボーダーライン」どの作品もワタクシは大好きだけど、描かれているのは「こちら側と向こう側」という線引が如何に曖昧で、移ろい易いものなのかだと思う。

つまり、描いているのは『人間』だということだ。

『言葉』つまり『言語』というものが一種類しかない世界だとしたら、物語が掴まえることができるものはひどく狭くて味気ないものだと思う。

故に面白いと思う方も、その逆の方も多い作品になると思います。
(「グレート・ウォール」や「無限の○人」などとは別の意味で)
これは制作側の意図(もっと言うと原作者の)であって、『解釈』が分かれるほど『狙い通り』になったということですよ。はい。

言葉繋がりで、ひとつだけ個人的に変えてほしいのはこの作品の邦題。
『メッセージ』で本当に良かったのかなぁと。。。

原題のArrivalじゃないと、誤解を与えると思う。
予告編の作りも、公式HPも『メッセージ』に主題を置かれているけど、
この映画の本質は『言葉』であり『時間』であり、このふたつがひとりひとりに
舞い降りた時に用いられる『LIFE』だ。

話を戻します・・・
実はちょっと前に試写会に幸運にも行けて、そこで観ておりました。
今週5/19(土)からようやく公開ということで、劇場に行かれる方もいるかと思い更新です。

この作品は『インデペンデンス・デイ』(1996年)や『インターステラー』(2014年)に並んでコメントされているのを散見しました。
文月としては、真っ先に思い浮かんだアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』やロバート・ゼメキスの『コンタクト』(1997年)寄りの物語だと考えます。

ファーストコンタクトというカタチを取った『意思疎通』の再定義を狙った思考実験。

これがこの映画です。

だから『インデペンデンス・デイ』みたいなド派手なアクションも熱い人間ドラマも、

『インターステラー』のような地球の危機や壮大な宇宙探索も、ありません。

そういうものを期待されてスクリーンの前に座った方はごめんなさい、きっと『面白くない』と思われるでしょう。

突如地球に舞い降りた12の『物体』が世界の主要な場所に陣取っていく様はなるほど『インデペンデンス・デイ』を彷彿とさせますね。

2017年の混沌とした世界なら、物体が現れた時点で即全面攻撃となっていたのかも知れませんな。

しかし、この物語では非常事態宣言は各地で出されますが、まずはきちんと『意思疎通』を図ろうとするのです。

黒塗りの種子然とした巨大飛行物体は地球のものであるのか?

そうでないなら、相手は誰なのか?

どういう目的を持っているのか?

どうやってこちらにやって来たのか?

劇中のあるシーンで印象的な言葉がありました。

「これはアボリジニと同じだ」

アボリジニと、固有名詞を出していますが、これは取りも直さず大航海時代(それ以前からも当然有りましたが)より欧州がアフリカ、アジア、アメリカ大陸に対して行った植民地政策の事を引き合いに出しています。

まぁ、人類の技術で察知できない方法で世界に同時に出現した『物体』とそれを動かしている『生命体』は、その存在を持って我々より数段優れた文明を持っていることは明らかです。

よって話を戻すと、『誰で』『どうして』『何のために』やって来たのかという事を正確に把握しなければなりません。

人間同士ですら『来られた側には無い技術』を提供する代償として『多大な利益』を引き出そうと画策してきた訳ですからね。

未知なる相手を前に『悪意の解釈』を持って対峙する訳です。

物語はこの未知なる存在とどのように『意思疎通』をしていくのか?

そして、ある重要なキーワードをどう『解釈』するのか?

その『解釈』を世界はどのように『共有』していくのか?

を巡って主軸が展開していきます。

その未知なる存在との交流、そこで交わされる『言葉』、彼らを巡る人間たちの『解釈』の違いを通して主人公の言語学者は『自分自身』についてある気付きを得ます。
彼らが残したメッセージというより、彼らによって気がついた○○。

だから原題は『Arrival』なんだ。と落ちるわけですね。。。。
(Arrivalを辞書で引くか、google先生に聞いてみてください)

世界には7,000以上の言語があると言われていて
(この辺は専門家ではないので、断定はしません。
引用 http://www.ethnologue.com/ (SIL International))
表記されるだけである言葉について7,000前後の『訳語』が存在するということになります。しかし『訳語』はあくまで『訳語』であって、それがニュアンスまで完全に一致しているかは不明瞭です。そもそも『そうした言葉がない』ということもありえます。

人は思考を表現するツールとして『言葉』を用いているのであって、そうした意味では『言葉』というものも実に曖昧だということになります。

曖昧な思考→例えば「あなたが好き」というのは言葉での表記ですが、込められた感情の強弱、表裏、度合いまでは完全に表せません。せいぜい絵文字を用いたり、文字の大きさを変えたりと、装飾することでなんとかニュアンスを「表現」できるくらいです。

言葉 /言語 の曖昧さ。
伊藤計劃の虐殺器官ではないですが、これがこの物語の根底です。
それでも解り合いたいから意思疎通をする。
それでも100%のコミュニケーションなんてない。
この「言葉」というツールの恐ろしさと素晴らしさ。

未知の存在、そして巡る言葉の解釈で、国同士が、組織が、個人が激しく揺れ動きます。

で、結局世界はどうなんの?

ここまで散々『言葉』と書いてきてなんですが、『時間』というのもこの作品の重要なファクターです。
この作品の壮大なトリックとは、
原作『あなたの人生の物語』ってタイトルに集約されていきます。
作者の関心や原作からすると、言葉そのもの、時間の概念の方がウェイトが高い印象。
この『時間』って概念。これもこの作品にやられたぁと思わせる深いキーワードです。
あぁ、これ以上書けない。

『よく良く解らない誰か』とどう向き合うのか?
『よく解らない自分』とどう向き合うのか?
そこに付け加えられるのが『母性』だということになると・・・
昔流行った「セカイ系」にも似た所にも通じた所にも行ってしまうやんけ・・・
ま、原作が発表されたのが1998年だからなぁ、とその時期の『言葉』に浸っているワタクシなんかはそういった『解釈』に毒されてしまっていますがΣ(´∀`;)

サイエンス・フィクションというより、スペキュレイティブ・フィクションとしてのSF作品。
言葉ひとつで個人も世間も国家さえも変えられてしまう現代。
この時代、この世界情勢だからこそ、観た時に考えさせられるものが多い。
未知の存在とは、膨らみすぎたゆえに見えなくなっている世界そのもののように感じられる。
非常に有意義な映画体験でした。
文月としては、是非とも『Arrival』して欲しい一本です。


2017年映画鑑賞 41本目

◆Overview◆


・原題:Arrival 2016年公開
・上映時間:116分
・監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ   
代表作:『ボーダーライン』(2015年)
    『プリズナーズ』(2013年)
          『複製された男』(2013年)
    『ブレードランナー2049』(2017年)
・脚本:エリック・ハイセラー

<メイン・キャスト>
エイミー・アダムス
ジェレミー・レナー
フォレスト・ウィテカー
マイケル・スタールバーグ


マーク・オブライエン

2017/05/10

キャリー(2013年) 感想~やっぱり乙女は、怒らせちゃダメ~【映画レビュー】

[映画感想]


◆キャリー 感想◆

評価/オススメ:★★★★☆

(原題:Carrie)2013年公開
上映時間:99分

・監督:キンバリー・ピアース   
 代表作:『ストップ・ロス/戦火の逃亡者』(2008年)
・脚本:ロバート・アギーレ=サカサ
    ローレンス・D・コーエン

★出演者★

クロエ・グレース・モレッツ
ジュリアン・ムーア
ジュディ・グリア
ポーシャ・ダブルデイ



◆summary◆

あの頃はできなかったこと。
今ならできること。
そして、私達なら「こう描く」
映画/ドラマ製作はただでさえギャンブルなのに、より高いリスクを取る手法がある。
リブート、リメイク。
2000年以降とりわけ10年代に入ってからこのワードが頻出していますよね。
新解釈で大成功するもの、そして散っていくもの。
触ってはいけないものが世の中にはある一方で(例えば村上春樹作品の映像化が中世中国の科挙並の難易度だということとか)広く受け入れられる作品もある。
作品とは製作された時代の色を反映するものだから、断続的に過去になっていく「今」を基準にして新解釈しても、オリジナルを覆い隠すことは難しい。
同じ題材を扱っていても出発点が違うのだから「別物」として捉えればいいのだろうな。

本作は知る人ぞ知る1976年公開の「キャリー」のリメイク。
原作はスティーブン・キング。
伊藤計劃の「虐殺器官」のプロローグでもほんの少し言及されている
豚の血を頭からかけられた少女のポスターは有名です。

あの名作を、どうしてこのタイミングでリブートさせたのかを製作陣に問う前に、
というより、ワタクシはあの娘見たさの為だけに(笑)「2013年版キャリー」を
観て、受け入れてしまいました。

少女が大人になる、その瞬間の妖しさを。

◆comment◆

2013年の公開当時観たいなぁと思っいつつも、
ワタクシは「キャプテン・フィリップス」(トム・ハンクス)を劇場で鑑賞していました。そして気にも留めずに月日は流れて2017年に。

ただし「機会があったら観たい」という気持ちが「何が何でも観なくては!!!」と
燃え上がってしまったのは、一重にある女の子と出会ってしまったからでした。

その名をクロエ・グレース・モレッツ嬢、いやもとい、
「ヒットガール」という。

やり過ぎ痛快アクションムービー「キック・アス」(2010年)、「キック・アス/ジャスティス・フォーエバー」(2013年)を昨年末に立て続けに見る機会があって・・・・ゴホン。
というより「キック・アス」を観て(ある休日の13:00過ぎ)、鑑賞後に即「キック・アス2」をレンタルしにTSUTAYAに駆け込んだ(その日の16:00過ぎ)のですがΣ(´∀`;)

ちなみに、キック・アスとキック・アス/ジャスティス・フォーエバーの予告編↓↓


実に様々な方が言及されているように(!!!)、ワタクシも彼女の可憐さにやられたひとりであります。

コスチューム云々の前に、クロエ・グレース・モレッツというひとりの女優の持つ
独特の雰囲気、魅力があって初めて成立する現象ですな。

という訳で、歴史的名作のリメイクだからキャリーを観た、ということは「タテマエ」で
その実、クロエ・グレース・モレッツ見たさにキャリーを観たのが本音です。

ともあれ!!!「キャリー」も「キック・アス」特に2作目のジャスティス・フォーエバーも、少女が大人になるその瞬間の切なさ、危うさ、そして妖しさが作品の根底にあるのだろうと解釈しました。

特にキャリーのカメラワークなんかは、露骨じゃぁないですかΣ(´∀`;)
惚れてまうわ。みたいな。
目の置き所に困る、みたいな。

キャリーって作品はどういうわけか不思議な力を持ってしまった少女が、
普通の少女として淡く切ない時期を過ごしたいという当たり前の思いを無残に踏みにじられてしまうとっても悲しい話なのです。
ワタクシは例えばアンデルセンの「みにくいアヒルの子」やベタなところではペローの「シンデレラ」なんかを想起しちゃうところがあります。
本当は美しいのに殻に閉じこもってしまい、そして周りからいじめられてしまう様には
あ、あのヒットガールがいじめられとるぅうううう!!!
と、拳が固くなっていく。
早く華麗な回し蹴りであいつらをすっ飛ばして!!!
だけど、キャリーはいじめっ子達を前に切なげな表情を浮かべて沈黙するばかり。

母からは罪深いと言われ、自分で自分を持て余し、ある時点までは下を向いていることを当たり前だとしてしまう。
自然とそう思わせてしまうクロエと、何よりもう一人の主役であるジュリアン・ムーアの表情、言い回しには脱帽です。

アンデルセンやペローの童話には救いがあります。
可哀想な少女は誰よりも輝いて行くのです。
キャリーも同じです。
学校一の美男子に(男から見ても、カッコイイわ彼)プロムに誘われ、胸をときめかせるキャリーに感情移入できる人は本当に多いと思います。
キャリーが「普通の女の子の幸せ」を「思い出」を得られるように見守りたい。
シーン毎にそんな気持ちが強くなっていく。
しかしスティーブン・キングというシェフが物語(特に初期の作品)を料理すると
「全く救いがなくなる」のです。

この物語は何よりも替えがたい青春時代というものを汚す権利など肉親である母親にも、もちろん心無いいじめっ子達にも誰にもないと、痛烈に訴えているのだろうなと個人的には考えました。
そしてキャリーが得た不思議な力は「純なるもの」たる若者の心そのものであって、そうであるが故に自身すらも害してしまうものだ、ということも。
それを汚すということはどのようなものであるかを、血まみれのキャリーの姿そのものをもって表現しているのだと。

ホラーというよりも、ヒューマンドラマとして、このキャリーは観るべき作品です。

自分というものを受け入れ、そして違和感を軌道修正しながら生きていく最初の段階を迎えることの難しさと素晴らしさ。
出発点も向かうゴールも同じ方向なのに、作品の色でこんなにも着地点が違ってきちゃうのだよなぁ。
期せずしてキック・アスとキャリーは同じヒロインによる同じ年代の抱える光と影を見事に対比した作品でありました。

あ!いじめっ子役が異様に(笑)板についてるポーシャ・ダブルデイ。
今作品では性悪ガングロギャル(古っ!!)の彼女は、
ワタクシが大好きなドラマ、ミスターロボットでヒロインを演じています。
キャリーでは同しようもない不良娘(マッドマックスにでも出てきそうな)でしたが、ミスターロボットでは可憐なヒロインを演じてます。
観た順番が逆であるため、ミスターロボットで彼女を知ったワタクシとしては本作での悪キャラ振りに驚きました。。。。

みんな、役者だなぁ。

2017年映画鑑賞 71本目

2017/03/26

【映画 感想】10 クローバーフィールド・レーン  ―真実は自分の目で見ても、受け入れられるかは別問題―

[映画感想]


10 クローバーフィールド・レーン 鑑賞

(原題:10 Cloverfield Lane)
2016年公開

オススメ:★★★★☆
(好みが別れるところ)

ご存知、現在八面六臂の大活躍をしているJ・J・エイブラムス監督の2008年公開作品「クローバーフィールド/HAKAISHA」の続編です(キリっ)

あの映画、ミステリアス満載のパニックムービーでしたよね。
主人公たちも含めて、見ている側も何が起こっているのか?どうしたら良いのか?
そもそも現実なのか?もっと言うと、助かるのか?が解らない。
何しろ、与えられる情報は極端に少なくて、スクリーンに映るほんの少し断片、聞こえる、見えるものを繋ぎ方も解らないままに思いとどめていくしかない。

その意味では主人公達が直面する恐怖や不安は、見ている側も共有できるから、初めて観た際にストーリーに引き込まれていく=自分が体験していると錯覚していった感覚は今でもよく覚えています。

僕も一度観て、二度観て、三度目にネットやら何やらの情報をつなぎ合わせて、世界観の60%ぐらいが解ったかなぁというレベル。(もちろん、僕の理解力不足もあります、はい)

最後の数分にようやく全容らしきものが見えてきて・・・・、あぁ、「あんなもの」が現れちゃぁ、おしめぇよってんで。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

と、いうことで、その続編としてこの映画の製作が発表されてから個人的にウズウズしていました。

ムムム!!!!

この映画、他の感想やレビューでも多く言及されています。
その多くにワタクシも賛同いたします。はい。

が、ひとりの純粋な映画ファンとして、オススメするとしたら

何の予備知識も入れずに観たほうが楽しめる。

と、申し上げたいです。

「予告編」の構成にこの映画は非常に優れていて、ドキドキ/ワクワク感をもの凄く増幅してくれます。
だが、しかし!!!この映画の内容について鑑賞前に調べるのは、できればここまでにしてください!!!!
と、少々無理難題をここで書いてしまいましたが、これは切実なコメントです。

予告編が傑作なので、ある意味では「予告編が全て」だとも言えてしまうのが、鑑賞後の率直な感想です(笑)


とは言え、それでもこの物語「面白いよ!」と紹介する記事をこうして書かせもらうにあたり、あまりにも読んでくださる方にポワンポワンとした事しか伝えられていないのは、本当に失礼なので、文月陽介的に映画を楽しむためのポイントをいくつか挙げたいと思います。

★10 クローバーフィールド・レーンの楽しみ方\(^^)/

①とにかく耳を澄ませる。
登場人物が話すこと、メディアから発信されること、これらを聞き漏らさないで!

②彼らが現在の場所にどうして居るのか理由を考えてみる。
可憐なヒロイン/メアリー・エリザベス・ウィンステッド
陽気な兄ちゃん/ジョン・ハワード・ギャラガー・Jr
なんかでっかいおっさん/ジョン・グッドマン(名優)

この映画のキモはこの3人です。
どうして3人は出会った?
どうして3人でこの場所にいる?
どうして3人だけしかいないのか?

話の端からどうにかこうにか得られるパズルピースを自分なりに繋ぎ合わせてみます。

③たくさんのどうして?をつなぎ合わせてもなお『全てを疑え』
クローバーフィールド名物、情報途絶下の舞台。①と②を繰り返して、物語にどっぷり入り込んでいくと、必ず「???」と疑問符が浮かぶと思います。
その時にようやく、この物語の「事実」と「真実」と向き合う準備ができたと言えるのです!

④結末を見届けるのは、あなたです。
この映画の感想が割れるのは、『クライマックスからエンディング』に判明する事態をどう感じるのか?によるのだと思います。
受け取った物語は、受け取った人が感じたまま。僕のスタンスはいつもそうです。

ワタクシは、、、、えぇえぇぇぇぇ!?と驚き、ちょっと笑ってしまいました。

とは言え、観たかった映画を観られた事に感謝。

2017年映画鑑賞 63本目




■補足
本作、監督はJ・J・エイブラムス氏ではございません。
ダン・トラクテンバーグさんという、今作が初監督の気鋭の方です。
有名なゲーム「Portal」を題材にしたオリジナル短編動画がYouTubeで19,585,466 回(17.3.26時点)も再生!!!!!!されていらっしゃる方で。
その短編動画も面白い。Portalを知っていなくても、Portalの面白さと恐怖が味わえます。
ちなみに彼の動画はこちらです
*YouTube公式channel↓↓↓↓
Portal: No Escape (Live Action Short Film by Dan Trachtenberg)





2017/03/12

【映画 感想】ディス/コネクト ―そして、誰も救われなかった―

[映画感想]



ディス/コネクト 鑑賞
(原題:Disconnect)
2014年公開

オススメ:★★★★☆

これも、見逃し映画!!!

・・・こうしたカタチでいろいろな方に映画の感想を書かせてもらっています。
僕もソーシャルネットワークに「繋がる」ひとりです。

小さな繋がりの集合体がこの社会。

今も昔も、人は孤独を感じるもの。

知らない他人の中で孤独より、誰とも関わらずに孤独であるほうが良いなんて月並みな言葉もあるのだけれど、何一つ社会と繋がることを拒否することは生きている限り不可能だ。

繋がりの多さ、少なさ、深さ。どれもそれらを測るバロメーターにはなるのだけれど、適性な範囲を「これです」と決めることはできない。
リアルで充実していること、ネットで充実していること、そのどちらが良いのかもその人の自由だ。

距離と時間の概念をすっ飛ばしたデジタル社会では、クリックやタッチだけでどんな場所も覗くことができるし、発信できる。

今更言っても仕方がないけど、だから、バランスが崩れてしまっている。

隣に言葉をかわすことができる家族がいても、友人がいても、不特定多数に呟くし、生活情報を、感情をポンと載せて端末を手放せない。

世界は常に動いているから、夜中だろうと休みだろうとあらゆる言葉(情報)が流入して、流出していく。

初対面の人と顔を合わせるのは苦手だが、メッセージを送るのは、匿名で書き込むのは、気も遣わないし、抵抗もない。

自分自身でプライバシーを「丸裸」にしているのに、結果とんでもないこと(炎上)してしまうと「どうしてだろう?」と苦しんでしまう。
会話しているのが「本人」であるかも解らないのに、気を抜けば情報を抜き取られてしまっているかも知れないのに、「繋がる」ことで得られる安心を求めてしまう。

SNSを誰もが使い、手軽になってしまったからこそ、この映画の出来事を単に文章にしてしまうと「ありふれた」ものだなぁ「自業自得」だなぁ、と感じてしまう。
よく考えると、それって怖いです・・・・

なりすまし
炎上
情報流出
ネットポルノ

日常的に見聞きするありふれた出来事がこの映画の主軸です。

だけど、その「ありふれた出来事」を「ありふれた出来事」だと感じてしまう、その感覚が麻痺していることが、「繋がる」という行為の最大の恐怖なんだろうな。

そして僕は、救いをどこにも求められなくなっている今とこれからの世界の断片をこの映画を観ることで、「繋がり方」を見つめ直しました。

僕は今誰と繋がっているのだろう。そしてこれから、誰とつながっていくのだろう。

それにしても接続と切断を繰り返しながら、最後にひとつの道へと続いていく構成は、思わず唸ってしまうのでした。

2017年映画鑑賞 56本目


2017/03/11

【映画 感想】13時間 ベンガジの秘密の兵士  ―ランボーなんかいない。厄介者達が守りきった、2012年のアラモライン―

[映画感想]


13時間 ベンガジの秘密の兵士 鑑賞

原題: 13 Hours: The Secret Soldiers of Benghazi
2016年公開

オススメ:★★★★★

※サブタイトルがなんだかファンタジー調に見えますが、ゴリゴリのシリアスドラマです。

―経緯、原因、背後関係、過去の負の遺産。
何万語を費やしても、そして費やさなくとも、「シンボル」となってしまうものがある。

9.11。(そして日本なら3.11)

こんなにも短い数字が物語るのは僕達なんかが軽々しく書くこともできないものなんだと個人的には思う。
ネガティブでも、ポジティブにでも「シンボル」はどうしようもないくらい「シンボル」なのだ。
2012/9/11。その日にリビアで起こった事件を描いたこの映画は9.11という数字が、アメリカにとって、世界にとってどのようなものなのかということを再認識させるものだ。

いつだって本当は必要であるはずの人が、邪険に扱われることはある。
インテリジェンスの最高峰だと自負しているCIA(の神話は崩れてしまったけど)の情報局員たちは名門大学を出て、成功を約束された、あるいは世界を変えているのは自分たちとと信じてそれぞれの「準軍事作戦」やら「諜報工作」に従事してる。

彼らにも彼らの言い分はあることは認めるけど、「使う側」の人たちなのだ。
だから自分たちの仕事を邪魔する連中は厄介者だと感じてしまう。
彼らの任務は「危険地域」で行われているという事実と任務を全うするには「安全」であることが大前提だということを忘れて。

この物語の主要人物たちは元軍人でプロフェッショナルではあるけども、「使われる側」の民間軍事会社の職員だ。
使っているCIAからすれば「部外者」だし「金食い虫」だし「ごちゃごちゃ言わずに静かにしていろ」って存在。

あくまで外注さん。こう言えば、サラリーマンとしてはしっくり来るのかも。
一緒に仕事をするけど、身内ではない・・・そんな感覚。
それってちょっと切ないと個人的には思うのだけど。

しかし、そんな使う側の彼らも、結局はピラミットの頂点にはいない。
それが緊急事態の際に露見する。
自分たちこそ、他国に居座る部外者(=厄介者)だということが・・・
「誰も助けに来ない」という事実とともに。

圧倒的な怒り、暴力の前では、生まれも、育ちも、容姿も、性別も、学歴も、年収も、キャリアも、将来性も、全く無意味だ。

そうした時に顔色ひとつ使えずに、「自分たちが助けに行く」「自分たちが守る」と淡々と装備を手に取る男たち。それが「部外者」で「金食い虫」で「ごちゃごちゃ言わずに静かにしていろ」と言われていた厄介者たちだった。

漢。

本筋で言えば、民間軍事会社の職員である彼らは「元軍人」ではあるが、契約外(映画を見ればイレギュラーの付随業務として一時的に命じられる事情もあるのだけど)の異常事態に対してここまで危険を犯す必要はないように思える。

それでも仲間の、同国人の(対象がVIPであることも、この際脇において)、危機を見捨てない。10人にも満たないチームでも、「自分たちができるとこ」を遂行する。

上から目線で見下すようにしていた彼らの背中に、戦う姿に、「使う側」の人間たちが何を感じたのか。

そして、ランボーなんかいない現実の戦闘では、失われるものが多すぎる。。。。
同じ実話をベースにしたものでも、
ブラックホーク・ダウン(2001年)の様に、大勢の仲間がいるわけでもない。
※モガディシュの戦闘を参照
ローン・サバイバー(2013年)の様にQRF(即応部隊)がやって来る希望もない。
※レッド・ウィング作戦を参照

いつまで、どこまで戦えば良いのか?を胸に秘めながら目の前の事態に向き合う彼らの悲壮感が怒号と銃声、爆音のなかに浮かんでは消えていく。
勝者などいない、戦場で。

あぁ、マイケル・ベイ監督=トランスフォーマーと思ってしまいがちだけど、もちろんもちろん、それだけじゃない事がよく分かる。
ワタクシは「ザ・ロック」の頃から大好きです♫

2017年映画鑑賞 56本目

2017/03/01

【映画 感想】悪党に粛清を ―もう金輪際、相乗りはゴメンだ。―

[映画感想
]

悪党に粛清を 鑑賞
(原題: The Salvation)
2014年公開

オススメ:★★★★☆

これも観よう観ようと思いつつ、そのままになっていた映画。
主演のマッツ・ミケルセン氏は、
キング・アーサー(2004年),
007・カジノ・ロワイヤル(2006年),
ヴァルハラ・ライジング(2009年),
偽りなき者(2012年)
ハンニバル(2013年~)
と代表作が続き、コジマプロダクションの『DEATH STRANDING』にも出演されることでも知られています。
※参考↓↓(youtubeに飛びます/コジマプロダクション公式channel)↓↓
HideoTube (ヒデチュー) 第06回:北欧の至宝 マッツ・ミケルセン特集
(あ、ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー、ドクター・ストレンジ(2016年)も忘れずに)

そして本作品でもマッツ様の魅力がまた、光る。

・・・・とはいえ、この作品は結構ハードでした。

怒り。

どうしようもない、怒り。

どのような言葉も、どのような高尚な教えも、それを抑えることができない程の、怒り。

喜怒哀楽は人間の持つ根源的なものだ。

どの感情も結局人には必要で、それが人を人たらしめているのだけれど、そのためにかえって苦しむことにもなる。

怒り、そして哀しみ。
サルトルが『死に至る病』だと言った、絶望。
主人公に降りかかるのはこの病なのだ。
どんな状況になっても諦めてはいけない。希望を捨ててはいけない。
僕たちはこう教えられてきたけど、呆気ないほどの速さで全てが変わってしまったら、
手を差し伸べる余裕もなく、還る場所も失くなってしまったら?

哀しむ時間すら与えられなかった人間が支配されるのは、圧倒的で『魂が燃え尽きるほどの怒り』だ。

この作品、原題と邦題の向かう先が間逆であることも興味深い。
Salvationって、僕は「救い」と解釈したのだけど、この映画にこの言葉を浸してみると、うむ、2つの方向性が見えなくもない。

絶望からの救済。
救われるには、代償を払う必要があって、それも自分自身で支払うことが条件だと言うのだろうか。

誰だって頭にくることはある。
怒鳴り散らすこともある。
拳を振り上げ、叫び声を上げることもある。

でも『魂が燃え尽きるほどの怒り』にその身を焦がしてしまうと、人はあんなにも哀しい顔になってしまうのだろう。それが怒りという感情の根源なのだろうか?

マッツ・ミケルセン氏はこの物語の全てを、その表情だけで背負ってしまった。
粛清しても、救われるかどうかなんて、一体誰が言い切れるのだろう。。。。

あぁ、マッツ様、ああいう表情をさせたら、貴方の右に出られる人はそうそういない。
マッツ様ファンは必見の一本です。

2017年映画鑑賞48本目

2017/02/27

【映画 感想】エクス・マキナ  ―ロボット三原則という、不条理な鎖はもう不要なのか―

[映画感想]

エクス・マキナ
原題: Ex Machina
2015年公開

オススメ:★★★★★

―もう「人工知能を創ったらどうなるか?」という問いかけは廃れていくのだろう。
「ヒトに創られた人工知能は、『人間』とどう向き合うのか?」という段階に来ている様に思います。

便利なAI。人工知能。アシスタントロボット。
素敵な相棒 ~フランクじいさんとロボットヘルパー~の回でも書きましたが、ロボット/人工知能が社会に溶け込んでいくことはもはやSFではなくなっています。

予告編で紐解かれていくあらすじは、プログラマーの主人公の青年がとある人里離れた施設で美しくも歪な一体のAI相手に「機械相手に人間性を感じるのか?」をテストしていく(※一種のチューリングテスト)をするというもの。
※アラン・チューリングが考案した試験法。

しかし、この映画が「アイ・ロボット(ウィル・スミス主演/2004年)」やはたまた「ロボコップシリーズ」や「ターミネーターシリーズ」といったメジャーなタイトルと違う点は、「もはや人間」となってしまった生まれたての人工知能と、それに向き合ういわゆる普通の人間との交流を扱っている点ではないか?と思います。

いわゆる不気味の谷を通り越し、当たり前の顔をして僕達のすぐ隣に彼らがいるようになっていく、その直前の段階。

それって「今、現在進行中」の出来事だし、近い将来という点ではもう手が届く所にいるからこそ、個人的には引き込まれていくテーマだなと。

今のところ人工知能やロボットを僕達が見たり、接したり、使ったりしても利便性だけで判断していられるのは相手が「まぁ所詮、機械だわな」と、いまだ感じられる「機能的な面」と「人工的な外見」を持っているからだ。

機械だから、融通は利かないし、行動は制限されるし、あくまでもヒトの補助として使うだけ。見た目も作り物だと解るし、動きもぎこちない。

だから「人間ではない」と認識できる。

しかし、人工知能の最終形は「ヒト」と同等になることだ。
外見上も、機能も、ヒトと同じ。それだけでは不十分だ。
「ヒト」と同じとは、心が、もっと言えば生命が宿るということだ。
そうなるともう「機械」などと言っていられない。

その時にヒトは彼らをどう扱うのか?はたまた、彼らはヒトとどう向き合うのか?
という恐ろしい問題が現実になる。
それがロボットでなくなってしまうと、「ロボット三原則」は適用されない・・・

ほぉ~、と思わず唸ってしまったのは、この人工知能の基礎理論というか違和感なくヒトと同じような思考をするシステム原理。
このシステム(ネタバレになるので控えますが)なら人工知能は「人間が何もしなくても、進化していく」のだろうと。
どうしてこの会社が人工知能を作れるのかという事が、個人的にはストンと腑に落ちたし
、合理的で効率的な考え方だなぁ、と原案のアレックス・ガーランド監督に脱帽。
というか、もう世界はこういうことなんだなぁとひとりごちました。
何事も着眼点とはじめ方が大切ということか。。。。
それが、この映画のもうひとつの肝なんだな。
情報化社会が昇華して、その結果として人工知能が発展していくという大きな歯車機構に人々が生きているという今の、これからの世界が。

主人公の前に現れたAI、エヴァがどうしてあのような容姿なのかも、深い意味を持っていた。
そう、それはメアリー・シェリーのフランケンシュタインの化物があんな容姿で生まれてしまったのと同じように。

この映画が仕掛けた本当のテストは、ヒトが「相手が機械なのか?そうでないのか?」を判断するのではなくて、ヒトの手によって創られた生命が「禁断の果実」をどう扱うのか?を観客である僕達が考えて、答えを導き出すところにあるのだろうな。

2017年映画鑑賞 47本目

2017/02/23

【映画 感想】クーデター  ―今という、すごく不安定な乗り物に乗って―

[映画感想]


クーデター 鑑賞

『クーデター』(Coup d'État、原題は No Escape)
2015年公開

オススメ:★★★★☆

―正常と異常は紙一重。昨日までの常識が通用しない、そんな所で僕たちは生きている。
「その時」の前触れを100%把握することなんかできないのだろう。

これって、限りなくリアルに近いパニックフィクションだよなぁ。
(シチュエーションはジェットコースターに乗っているような感じで展開して極端ですが)

映画は一種のシュミレーションとも言えるのだけど、海外に行ったことがある人なら、きっと冷や汗が背中に・・・

少なくともワタクシの場合、過去に3年間海外赴任した経験があったため、途中どうにも気分が悪くなる瞬間がありました。

異国の地、とは「そこ」であって「ここ」でもある。
日本も海外の方からすれば当たり前に「異国」。
世界ってものすごく不確定で、何が基準なのか、どこが安定しているのか、全くもって解らないのではないでしょうか?

それは個人にとっても。いや、個人ならなおさら。
生まれるところを選ぶことはできないけど、どこで生きるかは少なくとも選択できるのが世の中だ。ということになっている。

ただし、今現在に正解を求めても、きっと答えはずっと出ないものなのかもしれない。

ワタクシはつくづく生きることの怖さというもの、ありがたさというものについて考えこむ状況にあったので、余計に深刻に感じてしまうのだろうと思いますが。。。

物語は非常に解りやすいと思います。
人生に躓いてしまった主人公。再起を図るために、新たに仕事を探し、職を選んだ。
ただし、彼が赴任したのは遠く母国を離れたアジアの異国だった。
実は情勢不安定で、突如クーデターが発生してしまう。
暴徒たちの標的は・・・なんと「外国人」

―海外赴任ということは別としても、これって、私たち誰にでも起こりうることです。
でも仕事を変えるって、外国に行くようなものだと書いている人もいるくらいですから、そういう穿った見方もできるのですが・・・。

・・・生きている以上、自分の予期しないことは多かれ少なかれ起きてしまうものだ。
その時に果敢に立ち向かえる人って本当に強いと思う。
少なくとも英雄なんかでもない、特に何も取り柄もない僕なんかは、この映画の多くの人達の様に逃げ惑うしか無いのかもしれない。
でも、それでも、自分以外に非力で護らないといけない存在がいる限り、どんなに怖くても、伸ばした手は離さないでいたいと思いました。

お友達なんかと盛り上がって観るよりは、休み前の夜に一人で観たほうがよろしいかと。
特に、彼氏さん、旦那さん、お父さん。果たして彼と同じことができるのか、考えちゃいますよ。。。。


2017/02/21

【映画 感想】ボーダーライン  ―越えていい一線を、自分で決められることは幸運だ―

[映画感想]


ボーダライン 鑑賞
(原題: Sicario)
2015年公開

オススメ:★★★★★

テロよりも怖い現代社会の病巣とは?

それは各国政府に深く食い込む金融業界と、軍産複合体と、そして「麻薬」だ。
対岸の火事ではない。お隣の大きな国でも日本の人口ぐらいの需要があるなんて言われているし、欧米社会の病巣はこちらで、あらゆる犯罪の根底にあるとも言われている。
薬物って、日本社会とは無縁だとはもはや言えない。小中高生が薬物についての授業を受ける昨今だもの。

麻薬戦争はずっと続いているが、ここまで現実的に「世界のとある断片」を描いた映画はすごい。
残酷な描写ですら、ためらわず入れている。
だってそれが「その筋では日常」であるからだ。

邦題も、この映画については言い得て妙だ。
境界線。法規上の、倫理上の、国境の、担当機関の権限の。
もはや理屈とか常識が通用しないものが、僕達の生活の後ろに迫っている。
それと対峙して、ましてや打ち勝つには、同じ土俵にあがる必要も出てくる。

エミリー・ブラントの「良心」と、ふたりの男の「執念」
同じ仲間内ですら激突してしまう価値観。
そうしている間にも引き起こされる、悲劇。
やるか、やらないかの二択もこの状況まで行ってしまうと、どちらの選択が正しいのか解らなくなってくる。

僕たちの多くはエミリー・ブラントの視点で映画を観て、驚き、怒り、そして首を振ってしまうだろう。
彼女の葛藤は僕たちがこの「現実」を普段どうやって見ているのかをそのまま映し出しているのではないだろうか?

普通に暮らせるということは、どれだけ貴重であるのかを、改めて実感したが、振り返るとそれはすぐ後ろまで来ているんだろうと思うと、社会のバカバカしさと薄ら寒さも感じることができるんだと思う。

しっかし、キャストがすごい。それもふたりともナイスミドルで。
主演・エミリー・ブラント(「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のヒロイン)が霞むくらいの存在感。。。

ベニチオ・デル・トロ・・・伝説の「ハンテッド」からずっとファンだったのだけれど、すっかりナイスミドルにおなりになって。。。。その姿まさには「セニョール・哀愁」とでも言えるのかも。本当に感動♪


ジョシュ・ブローリン・・・グーニーズでデビューした彼。最近の映画だと「ブッシュ」や「MIB3」で大活躍。

この映画の彼に、ワタクシはこういう男になるべきだという、個人的な指針を得た感覚が致します。貫禄って、こういう姿だよなぁ。ロッキー・バルボアにはなれないから。

【映画 感想】マッド・マックス 怒りのデスロード  ―オトコは黙って・・・というのが、やっぱり良いのかも?―

[映画感想]




マッド・マックス 怒りのデスロード 鑑賞
(原題: Mad Max: Fury Road )
2015年公開

オススメ:★★★★★ ・・・・ようやく、ようやく観ましたよ!小島監督!!!!(監督はもう18回以上見ているとか・・・byヒデチュー第六回)

汗だくだくになりましたぜ!!!
という、個人的な叫びは脇において(汗

日常生活でも、仕事でも、それに物書きが好きならなおさら、「説明」することに、「理解」されることにこだわってしまうのは仕方がないこと。
だって、自分の言葉が相手に正しく伝わって欲しいと誰もが望むものだから。
プレゼンテーションとエンゲージメント。あるべきキャッチボール。望むべきコミュニケーション。
でも、ある意味でそれが自分自身を縛る鎖にもなってしまうことがあるのではないだろうかな?
この映画を観て、個人的に感じた最初の印象はそんなことだ。

聞き手を、読み手を、観客を、下手な説明なしに「構築した世界」に放り込んでしまう。
一流と呼ばれる作品に共通しているのは、そういうある意味すんごく硬派な創り手の姿勢があるように思う。
この映画も、冒頭に必要最低限な説明が数十秒流れただけで、あとはもう「状況」の説明なんてありません。
登場人物の置かれた状況も、伏線も、キャラクターの名前すら、全部「勝手に読み取れ!解釈せい!知らんのか??これがマッド・マックスじゃ!」と、御年71歳(!!)の監督ジョージ・ミラー氏はこれでもか!というほどの圧倒的な世界観でもって「映像」表現しています。
というより、これがなによりも「説明」になっているんです。
こちら側に歩み寄るような作品ではなく、こちら側が没入していく作品なのです。
セリフすらオッカムの剃刀でほとんど剃られてしまっている。
でも、それでも、シーンが進むにつれて、解っていくんですよね。
あぁ、彼女はこういう理由で戦っているんだ。
あぁ、彼はだからあんなに頑ななんだ。
そうか、それがこの世界なんだ。なんて。
崩壊していく世界では、現在の価値観なんてなんの意味もない。
そこから導き出されたキャラクター、雰囲気、立ち振舞、風俗、生活環境、支配者、強者、弱者。
ひとつひとつの作りこみが圧倒的すぎて、もう一回観ないと!と大切な部分を見落としてしまう!
見せる=魅せるということを本当に解っている監督、スタッフだからこそ、実現できたもうひとつの「現実」。
物語とは畢竟「語る」ということだけど、語り方に正解なんてないんだろう。
単純な英雄物語なんかじゃない。いいや、この物語には主人公すら、誰なのか解らなくなってくる。
あんなに多くの登場人物の中で、誰に感情移入できるのか?こちら側で自由に物語に入っていっていいんだ。
硬派な監督は実はとっても説明上手だったことに、きっとある瞬間に気が付くでしょう。
その瞬間は千差万別だろうけど、”その人の瞬間”が”その人にとっての”マッド・マックス"という物語から得られる答えなんだと思います。

と、言うわけで、ストーリーがどうのこうのだの、背景はどうのうこうのということを極力排したレビューでした。
まだ観ていない方も、すでに観た方も、もう一度この監督が生命を燃やして作り上げた世界に浸ってみてはいかがでしょうか?

ラスト5分が圧巻過ぎて、涙が出てきました。あんなに寡黙な主人公は観たことがない。かっこ良すぎ。。。。
ワタクシもこの余計な口を塞ぎたい。
でも、それだとモノ書けなくなっちゃうな。ワタクシの場合。

【映画 感想】大脱出 シルベスター・スタローン / アーノルド・シュワルツェネッガー ―豪華な料理は食べ過ぎると胃がもたれる―

[映画感想]
大脱出 観賞

(原題: Escape Plan)
2013年公開

オススメ:★★★☆☆

あの大脱走ではありません(笑)

スタローンとシュワちゃん、話題の共演作品。
ようやく観られた。

エクスペンダブルズほどの過食気味な印象は受けなかった。
肉体派の2人がダブル主演なのに、意外や意外。頭脳戦がメイン。そして脇役にもキチンと役割を与えている。

丁寧な映画だ。

無闇に動かないで、まず観察すること、考えること、今はどこも世知辛い。
タフな男は身体だけ丈夫なだけではいけないってことだ!

2016年映画鑑賞 101本目

【映画 感想】ハングリー・ラビット   ―知らないままなら、それでも良いこともある―

[映画感想]


ハングリー・ラビット 観賞

(原題: Seeking Justice)
2012年公開

生活に潤いを与えてくれるもの。
便利な家具、素敵な服、心地の良い部屋、気のおけない仲間、コミュニティ、アクティビティ。

そういうものの他に「ミステリー」というエッセンスもあると思う。
ほんの少しの謎って、好奇心をくすぐるし、想像力の良い餌になる。

そういう謎は実はそこら中に溢れていて、知ってしまえば、何のことはないことも多い。

でも、その逆は??

この映画。ニコラス・ケイジが主演だけに、いろいろなところで言及されている。
だからシュチュエーションがどうだとか、主人公の背景がどうだとか、そういうことは書きません。

僕が書くのは、こんなことだ。


実は知らない間に、僕たちの生活の後ろには何かとんでもないものが蠢いているのではないか?

そんなミステリーとホラー。

表、裏。そんなコインが僕たちの生活の後ろで入れ替わっているとしたら?


知らない方がいいことも世の中にはあるかもしれないなぁ。


知る、とは、ある意味関係すると言い換えることもできて、そのためにそこから抜け出せなくなるってことはないだろうか?


全てを知ることは必要な場合もあるし、当然の権利だ。


でも知ることで生まれるリスクも当然のあるのだ。


作用反作用の法則。

押せば押されるし、引けば引かれる。叩けば叩かれる。愛せば愛される。

この映画は例えばスティーブン・キングが描いているような日常に潜む恐怖。そんなものを描いているのだろうな。


遠くから見れば、大抵のものが美しく見えるように、ミステリアスはミステリアスなままにしておくのも、良いのかも知れない。


でも選ぶのはその人の自由意志だ。


魅惑的なフレーズ、謎解き、え?という驚き。2時間に満たない上映時間で、そんなものをテンポよく追体験できると思う。


2016年映画観賞 121本目

【映画 感想】ザ・タウン ―誰もが毎日起きるたびに、人生をやり直したいと思う。でも結局何もしない―

[映画感想]


ザ・タウン 鑑賞

(原題  The Town)
2010年公開

オススメ:★★★★☆

ベン・アフレックは好き。ワタクシ的にはトータル・フィアーズ以来の大興奮。

「誰もが毎日起きるたびに、人生をやり直したいと思う。でも結局何もしない」

後悔、過去。それは誰にもついて回る。
清算が必要なんだ。自分を受け入れるためには。
それは自分を鎖で繋いでいて、気が付かないうちに身体中を縛っている。
清算って言葉も、ある意味綺麗事だ。
自分だけの問題じゃないこともある。でも償う権利は誰にでもあって、ひとりひとり、自分なりに答えを見つけなきゃならない。ビリビリに破いて灰皿の上で燃やしてしまう。そんなことができたらみんな楽だ。

全てをやり直したい。
でも、どこかで何かを間違えて悩んでる。
この映画のベンに、自分が映し出されているようで、胸が締め付けられる。
またやり直せばいいんだ。何度でも。絶対になんとかってなるんだ。自分なんだ。全ては。流されない自分。

男は障子、女は鉄の扉。ある人は言った。
男ってバカね、という言葉が胸を打つ。

タフなようで、脆い。だから男は腕力を与えられたのかもしれない。強さとは大切なものを信じて、自分と向き合えることなのかもしれない。
日本人は、自分ではなく、集団内を優先することが多いから、彼らの苦悩は理解できないかもしれない。理解できても同じことができるかは難しいだろう。

変わることはいつでもできる。でもそのために支払うべき代償、償うべきことと向き合う勇気が必要なんだ、きっと。誰の評価も批判も、そこには介在できない。
心は自分のものだ。

その想いが、過ちを許し会える愛に変わった時、結ばれてはいけない2人を浄化したんだと思う。

シリアスだし、クライムアクションだったこの映画にしっかりとしたカタルシスが、狂おしいほど不器用で、愛おしい形でもたらした監督としてのベン・アフレックにも脱帽。
壮絶な展開に、犯罪者である主人公たちを思わず応援したくなる不思議な感覚。
それってつまり、誰にでも物語が存在するって、僕たち物書きが忘れてはいけないことが詰まってる。

泣ける。

2016年映画観賞 119本目

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